06:岡田上千晶

[ コメントを見る(0) ]

1986年10月29日。埼玉県川越市にて、テニスが大好きな夫婦の元に、女の子が舞い降りる。
太陽のように明るく元気に長生きしてほしい。という願いから千晶と名付ける。

ひとりっ子の少女は父と母の趣味に連れられ、物心つく前からテニスコートへ通う日々が続いていた。
そんな日々も父が、家族3人でに楽しめるスポーツはないかと探し見つけてきたものだった。父の家族へのささやかな願いは、娘の心を燻るものになった。

しかし当初の彼女は、コートへ向かうからといってテニスをする訳ではなかった。当時大好きだったサッカーのリフティングに夢中だったらしい。これも父が昔、楽しんでたスポーツのひとつである。

- 1 -

昔から習いごとは沢山させてもらった。
サッカーに水泳。習字にピアノに英語。そしてその中の1つとしてテニスがあった。
何故この選択肢の中から、テニスが将来の職業になるまでになったのか。
彼女の心の中に生き残ったのだろうか。
そんな話を聞かせてもらってるうちに、またピュアな岡田上 千晶に出会うこととなった。

実は彼女。
ひょんな事件からテニスを選ぶことになってしまう。夢があると言うよりは笑いがある話だった。

沢山の習いごとで水泳、習字、ピアノは直ぐに嫌になって辞めたという。
残るはサッカーとテニスだが、本当はサッカーの方が楽しくて仕方なかった。
彼女はリフティングが楽しみであり友達のように遊べる時間に呑み込まれてしまってたのかもしれない。

しかし、そのサッカーを差し置いてのテニスが生き残った理由。
それは、ある日の事件から始まる。
当時、小学生だった彼女は普段通りに学校生活を楽しんでいた。廊下では走ってはいけない規則は昔も今も変わらないであろう。
しかし、どの時代にも規則だろうが何だろうが廊下を走ってる男の子がいる。
不運にも彼女はその男の子とぶつかってしまうことがあった。
急な驚きと急な痛さを彼女は感じた。
なんとまぁ、ぶつかった衝撃で歯がグラグラしてしまったのだ。それも残念ながら永久歯!!(笑)ガーン(T ^ T)
直ぐに病院に向かい、先生に言われた言葉があった。
『ちあきちゃん。大好きなサッカーのことだけど…サッカーは相手チームの子ともぶつかるし、女の子だし、今回みたいなことも増えるかもしれないから辞めた方が良いんじゃない?』

- 2 -

そんなことで習いごとの中からテニスは生き残った。
今やワールドカップで世界一に輝いた『なでしこジャパン』である女子サッカー選手たちは、ボールだけではない衝撃を含めテニスとは違う部分で身体の強さや心の強さをこの話からもしみじみと感じてしまう。

サッカーとテニスでは個人競技か団体競技かで先ず違う。そして対戦相手が同じフィールド内にいるか、ネットを挟んでフィールド内にいるかである。

テニスの場合は格闘技のようなハードな直接的な身体の攻防戦はない。相手に直接害されずに、相手が打つボールの変化や行く先において影響を及ぼされる。そう考えると様々なスポーツに特性があり、ルールを理解し楽しむ要素は増えるばかりである。

彼女の場合。沢山の習いごとから生き残ったテニスは7歳で本格的にスタートすることになった。
スポーツクラブで90分のレッスンを週に3回受ける。このスタイルで4年後には全国小学生大会に出場してしまう。

- 3 -

これにはテニス好きの両親には嬉しいハプニングだった。
それから本格的にテニスをする為に『Fテニス』への入門を決める。その翌年も全国小学生の出場を決め、全日本ジュニアは12歳以下の部から18歳以下の部まで毎年出場を果たした。
この頃から漠然とプロになることしか想像していなかったという。
未来の私の姿はプロテニスプレイヤーだと。

そんな彼女だが、実はジュニア時代での全国大会の最高キャリアはベスト16である。
優勝もなければベスト8にも入れなかった。
関東中学生では3年連続1回戦負け。
ジュニアの日本代表を決める為のRSK杯や中牟田杯にも出場出来たことがない。

これには両親もコーチ陣もプロになれるとは思わなかった。本人が望んでも背中を押す気にはなれなかったと言う。
これには当事者の彼女も困った。高3の夏の進路希望でどうしようかと。両親とコーチ陣は大学進学を勧めた。大学卒業後にもプロになるチャンスはあると。

しかし、彼女の中では『何故、プロになりたいのに4年間という時間を勉強に使うのか。その4年間必死にテニスに努力すれば何か変えれるかもしれないのに。』
そんな想いだったという。
結局、悩み抜いて悩み抜いて3日間。トータル72時間で彼女は決めた。
『テニスに賭ける。私はプロになる。私の未来はグランドスラムで活躍する選手だ。』

そう言って高校卒業後、JOPや賞金大会。そしてグランドスラムへ繋がる登竜門のITFシリーズからスタートした。

半年のアマチュア期間を経て2005年9月末付けで、プロへの転向を果たす。

- 4 -

プロとしてスタートし2年後の2007年にイタリアでITF1万ドル大会でシングルス初タイトルを取る。その後2008年にはオーストラリアの25000ドル大会で準優勝を果たし、2010年のプロ5年目でWTAシングルス ランキング248位を記録しグランドスラム予選のラインまで後少しとなる。

2011年と2013年には同期プロである瀬間 友里加選手と全日本室内でのダブルスタイトルを勝ち取った。

- 5 -

2012年にはエームサービス株式会社と所属契約を決し、4年連続日本リーグにも参戦中!!
明るく元気なメンバーたちを引っ張り続けます。

こうした結果は、ジュニアの頃の戦績からはかけ離れたものである。
それは日々の努力であり、道を創り歩んできた彼女の勇気もあるのだろう。

プロ10年目を終えるこの9月末。
今までの全てにどう感じる?なんて聞くと。

- 6 -

『本当は想像してなかった。このキャリアで今のランキングでまだプレーしていることを。グランドスラムにもまだ行けてない現実だし…
若い頃、何も大した戦績もなかったけど、上しか見えてなくてグランドスラムで戦ってる自分しか考えてなかった。
だからランキングが上がった時も、そこから落ちることも想像していなかった』

言葉が重く、でもそれを受け入れようとする姿が印象的だった。『でもね。』彼女が続ける。

『でもね…ここまで続けてこれて、応援してきてもらえて、両親にも仲間にも感謝しかないんだ。若い頃みたいに燃えるような闘志は減ったのかもしれないけど…そんな気持ちが他のことよりもコートで立ってる時の自分を支えてる。今もテニスが上手くなれてて、それが喜びなんだ。』

皆様はスポーツをどう楽しまれるだろうか。
ゲーム性や選手のテクニックや気性の違い。
ぶつかり合う姿や、はたまた勝ちに喜び、負けに苦悩する姿は人の心を震わす要素であるだろう。

今年のUS OPENにも沢山のストーリーがあった。
岡田上選手のような気持ちは、キャリアが長ければ長いほどプレーしてる姿に滲み出る。

女子決勝はイタリアの32歳ビンチと33歳ペンネッタのベテラン勢の戦いであり、表彰式はいつもとまた違う雰囲気だっただろう。
勝ち負けもスポーツマンシップも越えてた人の美しさだった。どちらも満面の笑みで大好きだったテニスで遊び戦い尽くしてる姿に感じた。その裏ではセレナの夢は途絶え、ビンチは劇的な勝利を残したのにも関わらず彼女の味わっているであろう苦い心に少し配慮するコメントも残している。

スポーツでプロなのだから活躍することが必須である。それが生活に大きな影響を与え、勝つことでご飯が食べていける。周りから様々な評価をされるも必然でもある。

しかし勝ち負けだけでなく、岡田上選手の言葉やトップキャリアの選手の姿からもスポーツの素晴らしさは発信されている。

夢が叶った。とか夢破れた。とか、
人が期待してる。とか人が期待してない。とかエンターテイメントである時に大事なこともあるが、外的要素から離れ、もうそれを越えていくと、今まで本人が生きてきたことに何も変わりない姿と心があり、挑戦者であり続けたことは永遠に誰も変えることのできない勲章であるということだ。

そして、いつかはちゃんと終われる日がやってくる。どんな旅も終わる日が必ず来ると。

彼女はもう充分実感している。
現役選手として生きれる残れる僅かな時間を。
こんなにも命と時間を燃やし熱中できるものに出会えた喜びと幸せを手に入れた。
今の自分で世界に挑戦したい。
あの頃と同じなのだ。
キャリアは長くもなったが、プロになるのか悩んだ頃と同じなのだ。
自分自身の持ち潜む希望の力を信じている。
何度、壁にぶち当たり粉々のカケラになっても、いつも拾い集めまた希望の結晶を作れる彼女の生き様である。

- 7 -

プライベートでもピュアさは発揮されている。
親への感謝を筆頭に、人付き合いや恋も?ピュアな言葉や想いが並び続ける。
抹茶が大好きで京都に来た時は、抹茶デザートを食べに行かないかとお誘いをしてくれる。

- 8 -

私自身も遠征の合間のオフで彼女と一緒にいる時もあり、オーストラリアの海を見ながら人生を語った日もあった。
ひっきりなしに思い出を残したくて写真を撮り続けたり、嬉しい時は本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれる可愛い女の子。
その代わり、怒ってたり拗ねてたりするのも一目で分かる。(笑)

- 9 -

同期プロの引退では人目をはばからず泣き出すし、鼻もズルズル赤っ鼻である。
照れながらもチャケる時は一生懸命チャケてみるし、1人で何故かノリツッコミでお喋りが成立してるときもある。(笑) これは、ひとりっ子能力の高さなのか、ちょっと不思議ちゃんなのかは未だに分からない。

- 10 -

ハッキリものが言えない時もあり、何故かその人への怒りが私に発散される時もある。
『香奈恵ちゃんってお母さんみたいな時あるよね。』と、嬉しくもないし、よく分からないポジションに設定してくる時もあるが、なんか満足そうなので『それで良いか』と私も間違った錯覚に陥る。

苺を食べてる姿も可愛いでしょ?(笑)(=´∀`)人(´∀`=)

- 11 -

テニスの話をすると、本当に素直に上手くなりたい。強くなりたい。勝ちたい。と純真なことを話す。物事をそのまま受け取り、それが血液のように体内を回り、また身体の一部になっていくような人である。

ランキングが下がってからは何をしたら良いのか、どうやったら勝てるのか分からなかった時期の経験も、今まで苦しかったことも全てが宝物。これからの人生に活きていく。と自分の歩んできた道を誇りに想えてる彼女。

そんな中でも悔しさや挫折は今でも味わい続けてることと思います。
それは戦い終わるまでお友達のように身体の中に住み続けるものでしょう。

キャリアを退く時、百人百通りに想いと現状があるかと思う。怪我や心や、テニスだけでない自分の未来を追い求めることもあるかと感じます。

しかしテニスに賭けた人生なのだから、簡単には諦めない。そんな彼女のテニス人生は、まだまだ咲き続けます。夢も追いかけテニスコートで戦い続けています。

だからこそ!!皆様には今直ぐにでも彼女のプレーを追いかけて頂きたい。
テニスにピュアで変わらず逃げず戦う姿を。
フォアのスピンボールを操り、決して諦めないカウンタパンチャー!!
走り込んだフォアのクロスと、守備から攻撃に切り替わる瞬間は面白さ満点。
一球を打つ時の覇気は、見ていて感動するものです。

これからも…
彼女の全てがコートで表現されますように。
誰かがメッセージを受け取れますように。
更に幸せなテニス人生になりますように。

明るく元気に咲き誇れ!!

- 12 -
久見香奈恵